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フジコ・ヘミング、ショパンの祖国ポーランドの名手たちとの共演!
情熱の協奏曲、そして新境地、ラ・カンパネラ
フジコ・ヘミング(ピアノ)
スウェーデン人建築家ジョスタ・ゲオルギー・ヘミングと日本人の母の間にベルリンに生まれる。母の指導で幼い頃からピアノを始めた。10歳の時、 レオニード・クロイツァーに多大な影響を受ける。その時クロイツァーは彼女が将来世界中の人々を魅了するピアニストになるだろうと予言していた。青山学院高等部・東京芸術大学を経て、NHK毎日コンクール受賞、日本フィルなど数多くのオーケストラと共演、来日中のサムソン・フランソワはフジコのショパンとリストを聴き絶賛。ベルリン国立音楽学校に首席で入学。その後、ウィーンに移り、後見人でもあったパウル・バドゥラ=スコダに師事。今世紀最大の作曲家、指揮者の一人と言われるブルーノ・マデルナにウィーンで才能を認められ、彼のソリストとして契約したことはフジコが最も誇りとしているところのひとつである。ちなみにこの成約に際しては、フジコの演奏に感銘を受けたレナード・バーンスタインからの支持、援助があった。1968年ドイツの“Die Welt”誌は「ショパンとリストを弾くために生まれてきたピアニスト」、「日本から新しいピアニストが出た」と報じている。
そして、フジコはウィーンでの演奏会直前に聴力を失う。1999年NHKで放映されたETV特集「フジ子~ピアニストの軌跡」は大反響を呼び、再放送の回 数を重ねた。デビュー・アルバム“奇跡のカンパネラ”はクラシック界では異例の大ヒットとなり、これまでのCD販売累計は300万枚を超えた。4回のゴールドディスク大賞などは前代未聞である。これまでに、ロイヤル・フィル、モスクワ・フィル、ハンガリー・フィル、イングリッシュ・チェンバー・オーケストラ、ミュンヘン交響楽団などと国内外で共演を続けている。また彼女は音楽活動のみにとどまらず、米国同時多発テロ後の被災者救済のために年間CDセールス印税全額寄付やアフガニ スタン難民のためのチャリティー活動、特に動物愛護へ深い関心をもち、援助を長年続けている。
ヴァスコ・ヴァッシレフ(ヴァイオリン)
1970年ブルガリア、ソフィア生まれ。5歳からヴァイオリンを始め、10歳でブルガリア政府からモスクワ中央音楽院に派遣。1987年にパリの“ロン=ティボー国際コンクール”で優勝し、最年少でロンドンのギルドホール音楽院に入学。そのまま英国に移住して“カール・フレッシュ国際ヴァイオリン・コンクール”他を制し、イタリアの“パガニーニ国際コンクール”受賞により、10代にして世界3大ヴァイオリン・コンクールの最高位を手にする神童ぶりをみせる。その後もヨーロッパやアジアでリサイタル活動を続けるかたわら、ロンドン交響楽団やフィルハーモニア管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団らトップオーケストラにゲスト・コンサートマスターとして頻繁に登場している。最年少(23歳)で伝統の英国ロイヤル・オペラハウスのコンサートマスターに就任する。現在は同劇場のクリエイティブ・プロデューサーを務める。一方では、ザ・ローリング・ストーンズのロン・ウッド、スティング等、クラシック以外のジャンルのミュージシャンとのコラボレーションも成功させ、アーティストとしての幅を着実に広げ続けている。祖国ブルガリアでは、ブルガリア国立放送交響楽団の指揮者としてツアーやレコーディングを行い、コンサートには約3万人もの観客が押し寄せるほどのスターである。
ポーランド・バルチック弦楽四重奏団
ポーランド・バルチック弦楽四重奏団は、2008年、シュチェチン・バルチック・ネオポリス室内管弦楽団の首席奏者らによって創設された。主に19世紀から21世紀の楽曲をレパートリーとして、ショパンの祖国であるポーランドを中心に幅広い演奏活動を行っている。
第42回国際ポズナン・ミュージカル・スプリング音楽祭、プラハ・ルトスワフスキ祝賀祭、第22回ウーゼドム音楽祭など、数多くの音楽祭に出演を重ねている。
www.asia.culture.pl
公演詳細情報
イングリット・フジコ・ヘミング コンサート
Guest ヴァスコ・ヴァッシレフ、ポーランド・バルチック弦楽四重奏団
- 2017/04/10(月)14:00(開場 13:30)よこすか芸術劇場
プログラム予定
ショパン:ピアノ協奏曲第1番(ピアノ五重奏版)
リスト:ラ・カンパネラ 他
S席 ¥9,000 A席 ¥7,000 B席 ¥5,000(全席指定・税込・未就学児入場不可)
お問い合わせ先:コンサート・ドアーズ 03-3544-4577 (発売日以外 平日10:00~18:00)